最近読んだ本、てまだ読んでる途中なんですが、それがこちら。
「反応しない練習」
ブッダの教え的な内容です。
すごく簡単すぎて軽い感じで説明してしまいましたが一言でいうとやっぱりこれで終わります。
宗教的な感じではなく、ブッダの教えはすごく哲学的なんだなと思ったのが第一の感想。
例えば、すごくなるほどと思って実践しているのが「心の状態を見ること」。
何かあった時に自分は今どう考えてるんだろう、と観察する。
ちょっと違うかもしれないし、本の内容忘れつつあるから自分解釈になるかもしれないけど!
心がざわつくような時、自分の心の状態を見てみると「自分は怒っているんだな」と認識する。
なぜかを考えていく。
誰かの言動に対して怒ったんだな。
なぜそれに怒ったのか。
自分をないがしろにされたような気がしたから。
それは私の心が感じたこと。
ここまでが「心の状態を見る」こと。
ここから今度は外に目を向ける。
確かに誰かは自分にそういった発言をした。
残るのは発言の内容だけ。
事実は言われた内容だけということ。
つまりは、自分を蔑ろにした相手の心は見えないということなんですね。
これでわかるのは、自分はどういったことに腹を立てるのか、とか、見えないものを自分で解釈している、とかいうことなんです。
結果思うことは「自分、考え過ぎだな」てこと。
なんじゃそりゃ!?て思うかもしれないけどどう思うかは人の自由なわけですよ。
これは相手がいるケースだけど、反対に自分自身の内側に目を向けてわかっていたことに改めて感じいることもある。
それは自分が何を心地いいと感じるか。
私の場合は、湯船に入った時に「気持ちいい〜」て言葉が出て、ハッとしたんです。
私は今どう感じてるんだろう?
温かい、ホッとする、気持ちいい、結構冷えてたんだな、等。
無意識に自分の体も観察し始めてるわけです。
そして、思うわけです。
「幸せ」て。
人の頭はネガティブなことを考えやすいんですって。
だからか意識が向くのは不安とか怒りが多い気がするんです。
でも美味しいものを食べた時の「美味しい〜」て思わず出てしまう幸せな言葉は意識していないせいか口からするっとでてそのまま私の心にとどまらずに通り過ぎてしまうのかも、と今回気付いたんです。
それっていいことに目を向けてないんだな、と反省したわけです。
心が不安を作り出して事実を認識しづらくしているんだろうな、と。
だから、観察。
正しく認識することはストレスの軽減になるものだと実感をしたのです。